『常に世界を見つめ、そして人への思いやりを持つこと』株式会社カヌチャベイリゾート|代表取締役社長白石 武博

株式会社カヌチャベイリゾート 代表取締役社長 白石 武博
出張先から戻ってすぐにも関わらず、インタビューを快諾していただいた白石社長

— 御社の経営理念・事業内容を教えてください


経営理念は、「世界に誇れるリゾートを創ろう!」です。
事業内容は、「リゾートの街づくり」です。もともとホテルをやろうと思っていたのではなく、「世界に誇れるリゾートを創ろう!」というリゾートの街づくりがコンセプトです。

現在はまだ300室のホテルと150室のコンドミニアムの部屋と、いくつかの商業施設とゴルフ場の集積体となっていますが、元々は2,500室の構想でありました。従業員が5,000人位いて、そこに毎日お客様が7,000人位ご利用いただくと、併せて12,000人位の規模で動いているイメージです。

それはいわゆる「街」ですよね。
そうするとカヌチャの周辺の一次産業、二次産業も巻き込むことができます。みんなが共生していけるような街づくりと、そこに世界各国からお客様が訪れるような街づくりをしています。

カヌチャに来て楽しんでもらって帰っていただくと共に、そこで消費が生まれて、そこに仕事があって、そこに住む人達が出てくる、それらが私たちが目標としている「リゾートの街づくり」です。

— 起業のキッカケ・会社の魅力を教えてください


ゴルフ場を平成5年(1993年)に開業しているので今年の9月で創業26年目を迎えます。ホテルは平成9年からスタートしています。スタートは132室から始まり、増設を繰り返して現在は300室です。コンドミニアムも並行して開発をしていき150室あります。併せて450室くらいあり、今後は最低限でもあと5倍くらいに増やしたいです。

そして、名護周辺には放棄耕作地が数多くあるので、1次産業、2次産業を含め、商品作物をどんどん作っていきながら、カヌチャがショーケースの役割となり販売をしたり、味わってもらったりといった仕組みづくりをしたいです。

人を集めることをキーとして、産業を興したいです。宿泊業をやるというより、そこで産業をつくっていくということです。80万坪あるけど、80万坪しかないんです。ここを基にして周辺を巻き込んで800万坪、8,000万坪の一つの経済圏をつくっていく。これがカヌチャです。

『常に世界を見つめ、そして人への思いやりを持つこと』株式会社カヌチャベイリゾート|代表取締役社長白石 武博

— いつ頃から社長なのでしょうか?また、いつ社長になろうと思ったのでしょうか?


当時のキャリアパスというのは、いい高校、いい大学、そして一流企業に入る、もしくは官僚になるというのが成功モデルとして良しとされていた時代でした。ぼくは次男なので好きな道に進んで良いかなと思っていました。

それを察知したのかはわかりませんが(笑)、私が16歳(桐蔭学園1年生)の時に、親父(白石 武治氏)に「ドライブに付き合え」と言われて、連れて行かれたのが40年前の今のカヌチャの場所でした。まだ58号線も整備されていない、沖縄自動車道もまだなかった時代です。

今のカヌチャの場所まで車で3時間半くらいかけて行って、辿り着いたのは、ただの山でした(笑)。さらにそこを抜けて、海沿いまで下りてきた所で、親父から「ここに、ハワイのようなリゾートタウンを建設する計画があるからやろうと思っている。

ただ、一代ではできないからお前も観光と金融の勉強をして一緒にやろう。」と言われました。そのときは親父は気が狂ったかと思いましたよ(一同笑)。

株式会社カヌチャベイリゾート 代表取締役社長 白石 武博

だって那覇から3時間半もかかって山の中ですよ。親父は、道はいつかできるからと平気で言う人でした。ただ、沖縄が戦争で焼け野原になって、そこから沖縄が復興していく復興世代の人です。

沖縄はアメリカ統制下から1972年に本土復帰をして日本化が始まり、その中で置いてけぼりの沖縄を当時の人たちは何とか自立したい、自活していきたいという想いが強かったと思います。その為には産業を興したいと思い、工業立地ができないかとトライしたんです。

そのときの日本の成功モデルであるモノづくりや産業立地を試してみたが、水がない、電気やインフラが安定していない、人も高性能の人がいない、立地的にモノを運ぶインフラが不利である、といういわゆる県外の成功モデルが沖縄ではうまくいかないという結論となりました。

そこで当時着目したのが、ハワイ型の時間輸出経済圏、観光を基軸とした収入を稼いでいく仕組みを沖縄で作れないか、それなら作れるのではないかという仮説ができたんです。

カヌチャという場所は元々、名護市の中でも斜陽化された土地で、元々の産業は木を伐り出して、薪にして沖縄のエネルギーの供給地点でした。戦後ガスが普及し、エネルギー改革が起きて、ここの産業が斜陽化して人が減っていき、土地だけが残ったんです。名護市の皆さんが、ここを活用して新しい産業ができないかと始めたのが、カヌチャプロジェクトだったのです。

ところが、80万坪ある土地を、小さい経済単位のところだけで運営するのはどうしても難しいと言われていました。海洋博記念公園ができて58号線や沖縄自動車道が整備されても、名護市は通り道になるだけで、ここには消費が落ちない、何とかこの未開の山をインフラとして産業を興せないかという話をしていました。

沖縄経済界の若手の中心人物だった人たちが、カヌチャプロジェクトを話し合っていました。その内の1人が親父(白石 武治氏)でした。そのプロジェクトのメインを白石でやりましょうということになりましたが、行政との絡みもあり、民間企業だけでやることになりましたが、1社抜け、また1社抜けということでうちしか最後に残らなかったんです。

それでも沖縄の為にはやり続けなければいけないと言ったのが、親父(白石 武治氏)だったのです。

当時の沖縄は工業立地であり、本土並みを目指す、日本並みを目指すという日本の成功モデルは沖縄ではできないので、ハワイ型の観光業を目指そうとしたのです。

100円のサトウキビを作るのに110円の税金が掛かるというような商売が永遠に続くわけがないし、自分達で飯が食える商売ができてないのが現状でした。いろんなことを試そうと考え、沖縄は観光産業に取り組めばいいのではないかということでスタートしたのです。

それで、親父は「一緒にやらないか?」と言ったんです。16歳の時でした。遡ること40年前の話です。まんまと親父にだまされたかな。あっはっはっは(大笑)

— 御社のターニングポイント、ブレイクポイントを教えてください


※平成2年から4年までは、ハワイの大学で、トラベルインダストリーマネジメントを勉強していました。ハワイの観光産業を学ぶ為です。どうやったら沖縄をハワイに近づけるかというミッションを持っていました。

平成元年にゴルフ場の着工が始まり、平成4年に沖縄に帰ってくると、ゴルフ場のオープン前でした(当時30歳)。ところが平成4年、5年というのはバブルがはじけたときです。平成元年にはリゾート法ができて、日本全国でゴルフ場とリゾート開発が一気に広がり追い抜かれてしまった。

オープンしてまもないカヌチャベイリゾート写真
オープンしてまもないカヌチャベイリゾート

さらにバブル崩壊でのデフレ化が始まり、それとともに金融の締め付けがあり、その後いろんなゴルフ場で1万人や2万人もの会員権の詐欺なども問題となり、いわゆるリゾートや会員権やゴルフ場というものが、悪の権化みたいなイメージを持たれてしまったタイミングでした。

うちはゴルフ場をオープンしないといけないというそのようなタイミングで、私はゴルフ場の総務部長の名刺を渡され、事業を開始したのです。社内でも初めての取組みのことでしたので、オープン前のオペレーションも何も整備されていないという状況で、私が責任者として任された状態だったのです。

スタートから波乱万丈でした。ゴルフ場のオープンは平成5年でしたが、そもそも自分たちでホテルを運営する計画ではなかったのです。コンソーシアムを組んでいるいくつかの会社があったのですが、バブルが弾けたことで、その後1社抜け、また1社抜けというように、一緒に創ると言った人たちがどんどん抜けていき、結局うちが自社でやることになったのです。想定外の状況で崖っぷちからのスタートでした(笑)

それでスタート時点ではゴルフ場だけとなったのです。ゴルフ場で品質の高い、単価の高い商売を提供してきたのは事実ではありますが、ゴルフ場だけでは全体の資産構造を保つことはできないくらいの借入をしていたのです。

そもそもゴルフ場を作りたいのではなく、リゾートの街を創りたいということで始めたのです。80万坪あるので、18ホールでなく36ホールのゴルフ場をつくり、会員権を集めようという悪魔の囁きのような話も親父にあったようですが、会員権獲得のためにやっているのではなく、リゾートの街を創るためにやっているのだということで断り、ゴルフ場とゴルフ場の間に2,500室の施設のできる敷地造成とゴルフ場の下に上水や下水のインフラ工事もしたので、そこに残った拡張性というものを活かして、ホテルの計画を始めたわけです。

『常に世界を見つめ、そして人への思いやりを持つこと』株式会社カヌチャベイリゾート|代表取締役社長白石 武博

ホテルの事業計画も誰もやる人がいないので、私が事業計画を作成しました。ロータス123でファイルを32枚つなげてね(笑)。

事業計画書を作り、20億の資本を作るために、5億借入しに行き、あと15億円は事業計画書をあちこちに持っていって出資金(出資者)を集めつつ、銀行にも借入をして調達したのです。その計画を出した時というのは、プラザ合意で円が80円くらいにまで落ちて、沖縄の観光が危機的状況になった時でした。

グアムやサイパンに観光客をゴッソリと持っていかれて、それによって沖縄の観光はプライスダウンされ、経営が難しくなり、これ以上部屋数(ホテル数)を増やすと沖縄観光業界全体が共倒れするから、銀行は新しいホテルにはお金を貸すのを止めるような時代でした。元々250室からスタートをしてシュミレーションしていたのを、結局132室でスタートするようになったのは、銀行からお金は貸すが、まずは半分くらいの部屋数でリスクを下げてスタートをして欲しいという話があったからです。予期せぬ自社のみでのスタートでした。

— 株式会社カヌチャベイリゾートの魅力とはどんなところだと思いますか?


沖縄はほとんどが西海岸にホテルがあります。通常のホテルコンサルにシュミレーションをかけると全てが「万座」(現ANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾート)になったんです。

都市型ホテルをビーチサイドに置くと上手くいくということで、それをまねて、万座ができ、ルネッサンス、サンマリーナ、アリビラができるという同じようなホテルができていきました。共通しているのは西海岸にあり、距離は那覇から1時間くらいで行けるということです。

ところがカヌチャは東海岸にあり、サンセットがない、那覇から2時間くらいかかり遠い、という不利な条件が揃っています。その中でどうやって経営していくのかという状況でした。数学で言うと「対偶の関係」ですね。まったく逆のものを作ろうということです。

株式会社カヌチャベイリゾート 敷地内写真

あの当時の他のリゾートホテルの部屋の広さが30平米、大きくて40平米だったところ、うちは一番小さくても52平米の部屋を作りました。18平米のテラスもつけるから実際は70平米くらいあります。132室のうち100室は最低20坪、テラスが10坪だから合計30坪100平米あります。

当時の都会に住む人たち、ぼくらがマーケットと思っている人たちのマンションの大きさをたった2人で使ったらどうなるだろうかと。天井の高さも高くしてベッドも大きくして、マイケルジョーダンでも小錦でも寝られるような大きさにして、縦に長い部屋は当たり前なので、横に長い部屋を作っちゃえという発想でした。

だから徹底的に逆。まったく真逆をついた。レッドオーシャン戦略でいうブルーオーシャン戦略というのが基本的な考え方でした。

※マイケルジョーダンは、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。NBAのシカゴ・ブルズ、ワシントン・ウィザーズでプレー。その実績からバスケットボールの神様とも評される。小錦は、アメリカ合衆国ハワイ出身で、日本国籍(帰化)の元大相撲力士。

— 会社の10年ビジョンを教えてください


株式会社カヌチャベイリゾート 代表取締役社長 白石 武博

日本の10年ビジョンと考えても良いかと思うのだけど、日本は少子化で、人口減少が始まっていてどんどんシュリンクをする。マーケットもシュリンクをして、基本的にはオールドになっていく。このような少子高齢化に対してどうするかというのが1つ。

もう一つは、逆に69億いる外国人に対してどう商売をするのかということ。これは日本全体でも同じ課題だと思います。沖縄は東京ばかりをみていたが、日本自体はシュリンクしていくのだから、それに合わせるのではなく、もっとダイナミックに70億人全員がお客様だと捉えて、全世界がコンペティターでマーケットであるという考え方からやる必要があります。これはハワイで学んだことでもあります。

したがって5年、10年というビジョンを考えたときに、日本はさらに少子高齢化していく中で、外国人を取り入れていくと同時に、プレーヤーとしての働き手もどんどんオープンにしていく必要があります。但し、軒先貸して母屋を取られるではダメなので、カヌチャはカヌチャらしく自分たちのスタンスで、DNAはしっかりと残しつつ拡げていく必要があります。

ですから10年ビジョンでは、おそらく2500室ができあがっている。小さい実験ですが3年前に始めた紅茶の栽培が成功してくれたら、名護市に100ヘクタールもある放棄耕作地を紅茶畑に全部変えて、摘んだり商品にして売ったり、それ以外の作物も作ったりして、理想的なリゾートのスマートタウンをつくっていく。その成功モデルで沖縄をリードしていきたいし、その沖縄モデルが日本をリードしていくことだと考えています。

— 株式会社カヌチャベイリゾートが求める人物像を教えてください


『常に世界を見つめ、そして人への思いやりを持つこと』株式会社カヌチャベイリゾート|代表取締役社長白石 武博

我が社のベーシックな考え方として、お客様にだけではなく「人にやさしい」ことを大切にしています。国が違おうと、言語が違おうと、カスタムが違おうと、「いい人間」、「人が好きな人間」、「人にやさしい人間」が一番求められることで、「能力」というのは勉強すれば身についてくるものだと思います。また変わったことが好きな人だね。

ホテル業だと、ホテルマンとして伸びていくキャリアパスもあるし、それとは別に、名護の街の発展とともに自分の業務範囲をどんどん変えていって、幾つも違う仕事をやるなどマルチタレントにもなれます。

考え方は人によって違うので、押し付けるつもりはないのですが、街の成長に合わせて人も変わっていく。変わっていくことに対して喜びを持てるような、チャレンジをしていくことに喜びを持てるような人に来てもらいたいです。能力のあるなしが大切ではないです。

私自身、能力があると思っていませんから。生まれた時からの悪人なんていないと思います。人のことを思いやれる人間であれば良いのです。そうするとお客様に対しても何を提供すれば良いのかを考えて行動ができるようになります。よくスタッフに言うのは、君たちが一番大切にしている人をカヌチャに招待した時に、「お前が就職したから泊りに行くよ」と言われたら、相手が何を求めているのか、何を旅の成功(目的)として来るのかということを知らないといけない。

理解してないといけない。それを知ることによってアドバイスすることができる。これが最も必要なことなのです。

何かディスカウントするとか、何か特典をつけるとかというのは簡単なことですが、それは消耗戦にしかならない。相手がわざわざ飛行機に乗って遠いところまで来るということ、本当に求めていることを理解してあげること、どう楽しませることができるのか、どうくつろぎや癒しを提供することができるのかと必死に考えますよね。何かをしてあげたいと思いますよね。

それが思いやりの心でしょう。ちゃんと私のことを見てくれているんだね、理解してくれているんだね、だからあなたに会いに行くんだよ、というところに持っていくことです。そのようにすべてのお客様に接することができるようになればマニュアルなんて必要なくなると思います。そして最高のサービスができるはずです。

— 沖縄の若者・未来のスタッフに向けたメッセージをお願いします


日本はいま、旧の日本から新しい日本に変わっていこうとしているし、世界もどう動くかわからないけれど、いろいろな意味で物の考え方が旧来のものから変えていかなければいけないと思います。

グローバルにみんなが地球人だという感覚、目線で一緒に仕事ができるかどうかが大切です。

私の毎日の日課は、朝5:30に起きてBSの「世界のニュース」をみて、世界23か国の当日のヘッドラインをチェックしています。沖縄で起きていること、日本で起きていることだけではなく、世界でどんなことが起きているのかを知ることだけでも世界観が変わります。

私はこれを毎日の日課にしています。沖縄で、日本で、世界で何が起こっているのかを知って、アジアの中での日本人、世界の中での沖縄人という意識をもって生きていくことです。日本人同士で平均的なことをやっていれば平均的な結果が得られるという時代は終わりを告げます。そんな過去のトラックレコードというものはもうないのだということを認識して、これからは荒波の大海の中に突き進んで行くのが日本であり、その日本をリードしていく為に、沖縄の若い人たちにはそういう目線で世界を見るようになって欲しいです。

沖縄は日本の中での西の玄関口です。どんどん世界に行ってほしいですし、世界の人を呼んでほしいし、コミュニケーションを取っていって欲しいです。

そこから商売、ビジネスが生まれてきます。カヌチャはその起点になれるような、その中で地球人同士みんなが仲良くなれるような、そういう街づくりというのがリゾートなんだと思ってやっています。

ホテルマンだけではなく、農業をしている人やもの作りをしている人も集まってくるような、人が集まると新しく仕事ができて、その人たちが提供するものを新しくイノベーションしていくというようなことをやっていきたいです。人のいい人大集合!変わったことをするのが好きな人大集合!ということで皆で良い人生を送りましょう!

株式会社カヌチャベイリゾート 代表取締役社長 白石 武博

氏名:白石 武博(しらいし たけひろ)
年齢:56歳(昭和37年寅年6月25日生かに座血液型O型)
企業名:株式会社カヌチャベイリゾート
役職名:代表取締役社長
出身地:沖縄県那覇市
出身校:大道小学校⇒真和志中学校⇒桐蔭学園高等学校(神奈川県)⇒早稲田大学商学部
趣味:映画鑑賞、料理:毎日の朝食はクックパッドを見て自分で作っています。
特技:仕事(ゴルフ含む)、料理:得意料理は中華丼で、ゲストに大好評です。
   社長カレーが名物で、年に4回ほどスタッフ約100人分を1人で作ります。毎年、年の初めは午前1時頃からスタッフみんなで集まりカヌチャ内にある神社を参拝して、年頭の訓示を行い、年初めにカレーを食べて初日スタートをがんばるぞ!とやっています(笑)。毎年の年初めは社長カレーを食べて始まるんです(カヌチャスタッフ談)。
最近みた映画:アメリカの連ドラよく見ます。ザ・アメリカンズ、クリミナル・マインドなど。
好きなお酒:テキーラ。時間効率が良いから。お酒は酔うために飲む。早く酔ったらスパッと終わって早く帰って寝る。だからテキーラ!醸造酒より蒸留酒がいい。
行きつけのお店:やきとり白鳥(スワン)(那覇市泉崎)、焼き鳥屋やっさん(那覇市松山)
最近読んでよかった本:「デフレの正体 経済は「人口の波」で動く」藻谷 浩介 (著)
好きな音楽:よく歌うのは、和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」や円広志さんの「夢想花」などです。
今一番欲しいものは?:「人材」
※個人的に欲しい物はほとんどないかもしれません。年に1回ユニクロに行って下着などを購入しますね(社長、それは欲しい物ではなくて必要なものです)。こんな感じであまりほしい物はないそうです。その代わり好きなことは「飲みに行くこと」、「人とのコミュニケーション」でした。
※いつも出張しているイメージですが、年間どれくらい出張行かれますか?
月に3~4回飛行機に乗っているので年間だと50~60回くらいかもしれません。年間で大体20万マイルくらい貯まります。

起床時間5:30
就寝時間1:00~1:30
飲むのは24:00までで、帰宅後連ドラ1本鑑賞して就寝。

【株式会社カヌチャベイリゾート】
HP:https://www.kanucha.jp/
本社:〒905-2263 沖縄県名護市字安部156番地2
創業:1997年(平成9年)6月29日
事業内容:ホテル事業、ゴルフ場運営、リゾート街づくり事業。
従業員数:318名(内パート111名) H31.1.31現在※派遣社員除く

◆株式会社カヌチャベイリゾートの採用情報は『採用ブログ』から詳細をみてね!
https://kanuchajinji.ti-da.net/










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