『仕事をする上で大事なことは“思いを共に感じる仲間がいること”』有限会社沖縄紙業代表取締役|大仲 秀樹

有限会社沖縄紙業

有限会社沖縄紙業は、サービス業として社員の意識改革はもちろん、森林伐採による「自然破壊」「環境問題」にも取り組んでいる。常に“先を見据えた新たな付加価値サービス”も意識し事業を展開している。


有限会社沖縄紙業

— 御社の経営理念・事業内容を教えてください


リサイクルを通じ、世界共通の課題である「環境問題」に地域社会に役立つ組織として社員一丸となって取り組んでいます。

経営理念
一、古紙リサイクルを中心とした企業活動を通して、環境保全、環境保護に貢献する。
二、社員一人一人が「プラス発想」を持ち、お客様の声にお応えしていく。
三、沖縄の発展を常に考え地域に密着した会社作りを目標とする。

環境問題の一つである『森林伐採』の解決策としてリサイクルによる「再生紙利用」を古紙の買い取りをメインに、空き缶・ペットボトルなどの買い取りも行なっています。
※買取させていただいた古紙・金属類などは、トイレットペーパーやペットボトルなどに再利用されます。

日本のリサイクル業は、発展途上国だった中国の高度成長期とともに発展しています。
中国が古紙の買取りを世界各国から行っている状況の中、隣国である沖縄でも古紙の再生利用の需要が伸び、雑誌やトイレットペーパーなどへ再生していく仕組みが現在リサイクル業として成り立っています。

不要になった古紙を買い取り、中国へ輸出することで「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三方よしが成り立っているとも言えます。

有限会社沖縄紙業
普段なかなか見る事がない設備について説明をする大仲代表。

— 代表になったキッカケや経緯・これまでの経験を教えて下さい


代表になって、今年で15年目になります。

創業者である妻の義父が亡くなり、急遽義母が社長として事業を引き継ぐこととなりました。

しかし、今まで事業経営を行った事がない義母では事業をうまく引き継ぐことができませんでした。当時の従業員をまとめることもできず、経営に支障が出てしまったのです。そんな中、従業員が大きな自動車事故を起こしてしまい、そのことで自社の重責には、やはり男性経営者が必要だという話になったことがキッカケでした。

当時、私はサンエーのバイヤーとして人生すべてを掛ける思いで、がむしゃらに働いていた矢先の出来事でした。義父が経営していたリサイクル業のおもしろみ、そこに掛けた思いを知ったこと、そして私自身が40歳という節目を迎えたことなど、色々な思いはありましたが会社代表(社長)を引き受けることにしました。

15年たった今思えば、偶然では無く、必然的にこの道に足を踏み入れたのだと思っています。

— 事業承継時の苦労・改革を行ったことなどについて教えて下さい


導かれて踏み入れた道は決して平坦なものではありませんでした。初めに行ったのは「社員の意識改革」でした。

当時リサイクル業界の「きつい」「汚い」「危険」を表す3Kのイメージを変えるため、サービス業の考えを盛り込む意識改革を実施しました。

具体的には、制服を支給し身だしなみを改善し、ごみ収集用のパッカー車をラッピングして、今までの「汚い」というイメージを変えたことで、お客さまや取引先の方の対応も一変し、回収する古紙などの分別もきれいになりました。自分たちが変われば、お客さまや、取引先の意識も変わることを肌で感じる事ができました。

社員の意識が会社の業績・ビジネススタイルをも変えていきました。

また、これまでのリサイクル業は、お客さまが古紙やリサイクル品を持参した物を買い取る“待ちのビジネス”だったのを、自ら営業を行い回収を行う“攻めのビジネス”に転換しました。

攻めのビジネスに転換したことで、今まで取引がなかった企業とお付き合いしていくことで事業が確実に拡大していきました。当時2台ほどしか無かったパッカー車も、現在では15台にまで増設しました。クレーン付きユニック車などのトラックを合わせると20台所有しています。

沖縄紙業 パッカー車

— 事業での失敗談・ターニングポイントについて教えてください


ターニングポイントずばり「リーマンショック」です。

まさに全世界が不況に陥った「リーマンショック」が当社にも大きな影響を与えました。

事業を承継して4年目を迎えた頃でしょうか、輸出先のメインである中国が円安の影響で購入を控えたことがキッカケでした。いくら古紙を買い取っても、売り先である中国が買い渋りに走ったことで、売れないという事態が起こったのです。

経営判断としては、“買取りを止める”か、“踏ん張って買い取り続ける”かという2つの選択肢です。

色々悩みましたが決断として私は“買取り続けること“を選びました。この判断がまさにターニングポイントになったと思います。

この経営判断は、創業者である義父の時代に同じような事が起こり、輸出が再開した時、売り手が同業者に流れ当社で言う商品(古紙の買取り)が出来ないという買い渋りをした結果を側で見ていた経験があったからです。

当たり前の話ですが、みんな生活があり、買い取ってもらえないと生活が出来ない中、売り先が無くても買い取ってもらえるところに行きますよね。

その時、助けられたお客様は、その恩を決して忘れることはありません。言わば反面教師、その時のことを知っていたため、この時は、会社としては苦しかったですが踏ん張り続けました。

買い取れば買い取るほど実質“赤字”が続きました。実に1年間このような状態が続きましたが、社員みんなが私の決断を受け入れ、踏ん張ったからこそ我が社の今があると思います。

そこからも「三方よし」の教えを実感しました。

有限会社沖縄紙業
有限会社沖縄紙業 全体ミーティング風景

— 今年~来年、そして5~10年後の御社のビジョンを教えてください。


今までのリサイクル業の考えを払拭し、発想の転換で変化させる事で大きく事業が拡大してきました。人材や配車などの設備投資は、事業として抱える財産としては大きくなっていきますが、守るべき社員、お客さま、取引先との良好な関係を長く続ける事、継続していく事が使命だと考えます。


また、事業継続のためにも人材育成にも力を入れていきます。同じ価値観の仲間を増やし、継承するところにシフトしていく予定です。

沖縄紙業 求める人物像

— 一緒に働きたいと思う人物像を教えて下さい


まず、沖縄紙業で働くことで得られるメリットとして、色々な会社に回収に行き、様々な業種の会社の仕事を知ることが出来きます。そして様々な場所に行くため道に詳しくなります。

そういう点では、車好きな方、好奇心旺盛な方はこの仕事にあっていると思います。

思った以上に体力を使う仕事でもありますが、体力自慢、また本業である「リサイクル」に興味があり、資源を生かし、次に繋げるという取り組みに共感出来、新しいアイデアを持って「リサイクル」を発展させてくれる仲間を求めます。

未経験で入って来た仲間も多数いますが、そこはしっかり働きやすい環境作りをしてきました。皆同じ志でリサイクル業という仕事で、環境問題に貢献することに誇りを持って、取り組んでいますので、「環境問題」「リサイクル」に興味のある方もぜひ応募していただきたいです。

自分が変われば相手も変わる、出来ることから始める勇気を私たちは、全力でサポートします。

有限会社沖縄紙業

氏名:大仲 秀樹(おおなか ひでき)
年齢:55歳
出身地:石垣市
出身校:九州共立大学 工学部
趣味:ゴルフ、ボーリング、筋トレ、バイク(ハーレー乗り)
行きつけのお店:豚厨房 NOBU

【有限会社沖縄紙業】
■HP:http://www.okinawa-shigyo.co.jp/
■本店所在地:〒901-2104 沖縄県浦添市当山1-12-2
■設立:昭和49(1974)年6月
■事業内容
1. 製紙原料の仕入れ・加工・販売
2. 一般廃棄物及び産業廃棄物の収集、運搬業









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