株式会社 御菓子御殿は、
“食べると楽しい思い出がよみがえる、心が幸せになれるような夢のお菓子づくり”をモットーに成長しています。これまで数々の賞を受賞し、県の産業振興に多大な貢献をしたとして「内閣府沖縄総合事務局長表彰」も受けました。昨年(2018年)、全国の旅行会社が選ぶ「第39回プロが選ぶ観光・食事、土産物施設100選」土産物施設部門で全国第2位に輝いています。
— 御社の経営理念・事業内容を教えてください
弊社は、お菓子の製造や販売、レストラン経営を行っています。
私たちは、創業以来「やさしい心くばり」を大切にしています。会長が4人ではじめた小さなお菓子屋さんのときからの理念です。当時からケーキの箱に「やさしい心くばり」と書いていました。
— 御社の企業のきっかけ・これまでの経験を教えてください

創業当初は、嘉手納町で小さいレストランを経営していました。
私が小学校に上がる前ぐらいです。レストランをしているときに、軍雇用で解雇された方々を雇ったことがきっかけで、お菓子を作り始めたのはそのときからでした。
その方達は、お菓子作りが得意だったんですよ。レストランのレジのそばでアメリカ仕込みの出来立てのドーナツやチョコケーキ、アップルパイなどを置いたら、ケーキ目的でレストランに来るお客さんがどんどん増えたんですね。
会長もレストランは夜も遅いし、昼間も忙しいし、社員が楽しく仕事ができる範囲でと、御菓子御殿の前身、「ポルシェ洋菓子店」を創業しました。初めは近隣の店においてもらい徐々にスタッフや配達も増やしていき、沖縄全土へ展開していきました。
— ブレークポイントとなった「紅いもタルト」はどのようにして生まれたのですか
元祖紅いもタルト商品 御菓子御殿 公式サイトより
紅いもタルトは、昭和61年に誕生しました。当時「一村一品運動」が流行っていたころ、読谷村の商工会から「紅芋でなにかお菓子を作れないか」という依頼がありました。
当時は卸しも初め、寝る間もない程の忙しさで、はじめは依頼を断っていました。しかし、商工会の事務局長が何度も当社に足繁く通い熱心に言うので、でもやるなら商工会や村に迷惑にならない様にすると決め、読谷村のお役にたてるのならと依頼を受けることになりました。
紅芋を餡子にしてみたり、ようかんにしてみたり、生クリームを混ぜてシュークリームをしてみたり、試行錯誤を重ねた結果、最初にできた商品『紅いもタルト』が誕生しました。
紅いもタルトが生まれた当初、紅芋で作ったお菓子は沖縄にはもちろん、全国どこにもありませんでした。特に本土では、紫色は食べ物の色ではないと言われ、芋に着色料を使っていると思われてなかなか受け入れてもらえなかったです。ただ、地元読谷村では、特産品の紅芋の観光資源化に尽力してくれて、紅芋シンポジウムを開き、役場、商工会、地域の人々の協力を得て、徐々にではありますが順調に売れるようになりました。
さらに沖縄ブームが起きてからは、航空会社のJALやANAの機内食に4年間も採用され、そこでCAさんやバスガイドさんの口コミでまた少しずつ広がっていき、今なら夢であったお菓子の城ができるかもしれないと2001年6月に最初の御菓子御殿をOPENさせました。

しかし、
2001年9月11日同時多発テロが発生したときは、観光業界は大打撃を受けました。沖縄県もその影響をもろに受け、私たちも例外ではありませんでした。
そんな中でも私たち御菓子御殿は、地元のお客さまが沖縄発の見える工場としてご利用いただいたことで危機的状況を乗り越えることができました。地元のお客様には本当に感謝しかありません。はじめのころは7割、今でも3〜4割が地元のお客さまです。お土産の店だと観光客ばかりなイメージがありますが、私たちは本当に地元の人たちに支えられてこそ、私たちは地元のお菓子屋だと思っています。
今でも親しみを持って創業当時の名称「ポルシェ、ポルシェ」と呼ばれていますね(笑)
余談ですが、「ポルシェ」という店の名前は、ポルシェという外国の車にちなんだのです。会長が大の車好で私たちも夢のある会社になりたいと思いつけたようです。
— 大変だったことはありませんでしたか
御菓子御殿 公式サイトより
商品が順調に売り上げを伸ばしてからは、次々と新しいアイデアを取り入れました。
ガラス越しに紅いもタルトの製造工程を見ることができるようにしたり、海の近くで食事できる場所を作ったりしました。
恩納村に首里城を模した建物とみえる工場をつくろうと思ったときに、当時沖縄には前例がなかったので周りから大反対されました。「なぜ、そんな外装をつくるのか、その立地は何やってもダメなとこだよ」と多くの意見をいただきました。資金面に関しても貸し渋りなども重なり、資金をつくるのに4年もかかりましたね。
しかし、周りに何を言われようが会長は、信念を貫きます。なぜなら、本土にはそういう施設があることは知っていましたし、読谷の海をとっても気に入っていましたので、私も含めて
絶対成功するという自信がありました。丁度そのころ、私は菓子製造を学ぶため本土へ渡りました。家族一団となって事業に乗り出す準備を進めていたのです。
— 御社の5~10年後のビジョンを教えてください
今より生産性を向上させる新設の工場を計画しています。現在、毎日約8~9万個、多い日は約15万個製造しています。
そのために、一つの工場で24時間稼働、三交代しているのが現状です。それでは、とても社員が大変です。ですから、より生産性、効率の良い工場を新設することで、今の一日の生産量を8時間以内を目標にしています。
そして、次のビジョンは
6次産業化の確立です。
6次産業化とは、地域の資源を有効活用し、生産だけでなく加工・流通・販売等も統合的に取り扱うことで、農山漁村の雇用確保や所得の向上など、事業の付加価値を高める経営形態を表します。そうすることで、ここ読谷村に還元できると考えます。
だから沖縄にこだわり続けて、沖縄の素材を使って沖縄でつくった美味しいお菓子を食べてもらいたい。県外からも海外からも沖縄に来てほしい、と思うんです。
雇用の面では、引き続き県内、県外出身の学生、そして一般の方や外国人ももちろん採用していきます。地元に貢献し、地元に必要とされることに意義を感じます。
— 御社の求める人材・若者へのメッセージ
笑顔で元気で明るく、やる気であれば、学歴問わず歓迎します。
弊社には、社員誰もが店長に挑戦できる“チャレンジ制度”という人事考課制度があります。
社員が自由に考え、自分が弊社でやりたい、作りたい店舗ビジョンをプレゼンテーションします。
つい先日も、チャレンジ制度で新しい店長を社内で公募し、高卒入社4年目の社員を店長に採用しました。21歳か22歳で向上心のある社員です。
弊社では、社員がやりたいこと、つくりたいものなど、意見を出して挑戦できる環境を用意しています。どんどんチャレンジ精神のある人は弊社に入社して欲しいです。そして、一緒に沖縄をもっと盛り上げていきたいですね。
氏名:澤岻 英樹(たくし ひでき)
年齢:51歳
出身地:読谷村
出身校:沖縄県立読谷高等学校>東京製菓学校(東京都)
趣味:釣り、アウトドア
好きな映画:ゴットファーザー(全シリーズ)
好きな漫画:キングダム、ブッタとシッタカブッタ
行きつけのお店:読谷ダイニング護佐○(ごさまる)
【株式会社 御菓子御殿】
■HP:
https://www.okashigoten.co.jp/
■本店所在地:〒904-0328 沖縄県中頭郡読谷村字宇座657番地1
■創業:昭和54(1979)年6月
■事業内容:
和洋菓子製造及び販売、喫茶店・レストラン経営
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